ぼした、ぼした、滅ぼした。
大学で行定勲監督の授業を受けた。
彼には人を惹きつける力がある。
映画に対する考え方は芯が通っている。
だから、学ぶことも多かった。
まず1つは、伝えたいメッセージへの執着心が何より重要である事。
これは当たり前のことのように思える。
でも今まで授業を聞いた映画監督の中で、これほど明確なメッセージを持っている人はいなかった。
熊本に住んでいた子供の頃、ぼした祭りという朝鮮人を蔑む文化に憤りを感じた経験。
そして、友人の死。
そういった彼のルーツが強いメッセージを作り出していることを実感した。
やっぱ、自分には経験値がまだまだ足りないって思った。
そしてもう1つ。
世の中を動かす映画というのは、「体制」と「反体制」の要素が入っていること。
言い換えると、
大衆に受け入れられながらも、観客を無視してまで伝えたい自分のメッセージを融合させること。
そのためにこうしなきゃいけないなんていう法則はない。
ただ、行定監督は、『世界の中心で愛をさけぶ』のような大衆的な原作に、
経験から来る反体制的な想いを融合させるのが上手いんだと思う。
彼の映画は『商業とアートの融合』だと言われているらしいが、授業を聞いていて納得できた。
贅沢な骨、向日葵、GO、きょうのできごと、北の零年...
彼の作品を全て見てみようと思う。
それでまた、今日言っていた意味が実感できるはず。